家をつくる と いうこと。

「建築は詩-建築家 吉村順三のことば百」より 
 
 建築家として、もっとも、うれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、
 そこでいい生活がおこなわれているのを見ることである。
 
 日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯りがついて、
 一家の楽しそうな生活が感ぜられるとしたら、それが建築家にとっては、 
 もっともうれしいときなにではあるまいか。
 家をつくることによって、そこに新しい人生、新しい充実した生活が
 いとなまれるということ、商店ならば新しい繁盛が期待される、
 そういったものを、建築の上に芸術的に反映させるのが、
 私は設計の仕事だと思う。
 つまり計算では出てこないような人間の生活とか、
 そこに住む人の心理というものを、寸法によって表すのが、
 設計というものであって、 設計が単なる製図ではないというのは、
 このことである。

故・吉村順三先生の、言葉です。
私のようなジャクハイモノが、吉村先生の言葉を引用するなんて、ものすごくオコガマシイのですが、
私が「住宅」というものに魅せられ、それを一生の生業としたい、と思う気持ちを、「さすが」という言葉で表現されていたので、引用させていただきました。
ちょうど昨日、一軒のおうちが、また手元から巣立っていきました。
まるで自分の家のように通った現場。
完成写真の撮影のときは、ひとつひとつの思い出を胸に、シャッターを切る、なんてセンチメンタルな気分になっちゃうくらい、愛着のある空間になっているのです。
そんな現場を、いざクライアントに手渡すとき、本当に複雑な想いでいっぱいになります。
お引き渡し前に、「新しいおうちに、置きたいと思って。」と購入された家具や小物をみたり、
お引っ越し後に伺ったときに、ここちよい暮らしをして頂いていると感じたとき、
そして「この家を建てて、良かった」と言ってもらえたとき、
涙がでるくらいウレシク思っちゃうのですょ。
そして「次の現場も、そういってもらえるように、ガンバロウ。」
なーんて鼻息荒く、思っちゃうのですよ。ウフフ。

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