きっかけ。

10数年前の阪神大震災で、私の実家は、ボロボロになりました。
震災直後は、目の前に広がる信じられない光景を前に、命があったこと、また、家族が無事であったことを、ただただ感謝するだけでした。
数日後、震災後、神戸の建物は、
赤(倒壊の危険アリ・近寄るな)
黄(半壊。補修すること)
緑(安全。)
のいづれかが役所の人によって判定され、その紙が建物に貼られていきました。
私の家に貼られたのは、赤紙。
全壊判定でした。
「倒壊の危険アリ。近寄るな。取り壊すこと。」
幸い怪我もなく家族みんな無事だったものの、ローンも残り高校生の子供を持つフツーのサラリーマンの家庭には、また家を建てかえるなんて、とうていムリな話でした。
命があったものの、これからの生活をどうしたらよいものか、途方に暮れるしかない状態でした。
そこへ現れたのが、ヘルメットを片手に東京から駆けつけてくれた、親戚のおじさん。
東京で建築士事務所をやっている、一級建築士。
電車の線路も倒壊しているなか、動いている線を乗り継ぎ乗り継ぎして、この被災地に来てくれました。
建設時の図面を片手に、家の隅々まで見て回り、「なんとか直せる」と。
復興直後で、なかなか手配できない業者さんへの連絡や現場管理、何度も何度も東京と神戸を往復して、なんとか住める状態に直してくれました。
そのおじさんの様子は、ただ「親戚が困っているから。」という理由だけでなく、ただただケンチクを愛するものとして、プロとして、自分の出来ることをやっている、という真摯な姿勢を目にしました。
おじさんは、建築の仕事の楽しさを話してくれました。
まだ高校生だった私には、建築の仕事を嬉々として語り、壊れた私の家を毅然とした態度で直してくれた、「建築のプロ」の姿が、それはそれはまぶしく見えました。
・・・、そんなキッカケで、建築に目覚めた私。
それから今まで10数年。(←ハッキリしたことは、言いませぬ。歳がバレるから。ウキョッ)
四六時中、建築のこと、住宅のこと、生活のこと、に思いを馳せてきました。
私のお仕事未分類「木ごころの現場日誌」では書ききれないたくさんのことを、書いていきたいと思います。
建築って、おもしろいんだからっ。
ってことが、少しでも伝われば、いいな。

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